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カルチャー & アート

ジョゼ・サラマーゴの足取りでリスボンを発見

3 年前 - Julie D.

小説好きな人にとって、有名作家の足取りの実際の場所を発見するほど楽しみなことはありません。幸運なことに活字中毒の方にリスボンは文化と歴史の街というだけではなく、何名ものすばらしい作家のソウルシティでもあります。 ノーベル文学賞受賞のジョゼ・サラマーゴの小説をご存知なれば、旧友のように楽しく見つけることができるでしょう。サラマーゴの見事な皮肉を込めた文章を知る機会がまだなかったならば、リスボンでの滞在はピッタリです! ジョゼ・サラマーゴの小説の人間の世界にどっぷりとつかって、次のリスボン滞在に備えましょう。 リスボンではジョゼ・サラマーゴ財団を訪問する、または登場人物の名前がつけられた小説のヒーロー「バルタザルとブリムンダ」の足取りであるマフラ国立宮殿につながっている「修道院回想録」の観光ルートをたどることができます。 心で見るリスボン:ジョゼ・サラマーゴ、あなたは誰? ジョゼ・サラマーゴは、1922年にリスボン北部の小さな村アジニャガで貧しい小作人の家族に生まれました。家族は出産した2年後にリスボンに移りました。当時、ポルトガル政府に反対していた論争後に1922年にランサローテ島に亡命するまで、生涯のほとんどをリスボンで過ごしました。 ピュアなリスボン。サラマーゴはこの街を愛し、隅々まで知り尽くしていました。しかしいつでも幼少時代の村であり祖父母の村であったアジャニガにこだわっていました。1998年のノーベル文学賞のスピーチでは、祖父母が想像力のセンス、自然を愛する心、ポルトガルの民間伝承に対する尽きない好奇心を与えてくれたと語っています。 近年の作品のひとつである「The Notebook」にはブログで初めて出版した多数の文章が入っていて、リスボンの本物のラブレターを書きました:「知るだけではなく、見たい。言葉の本当のセンスで、リスボンがあの頃どれだけ変わったのか。映画があるなら、古代の年代史家が写真家だったら、何世紀もの間リスボンが味わってきた1001の変化が記録されていたら、このリスボンの8世紀の成長を見て、生きるために行動し、数秒で開き、まだ閉じているボタンから形や色が最後に輝くまでテレビが見せるような花のように。このリスボンを何よりも愛して来た。」(The Notebook /Cherche-Midi出版、翻訳:Marie Hautbergue) 子供の頃に貧困を知っている:毎春、母親は質屋に家族のテーブルカバーを持って行き、お金を取り戻し、冬の初めに買い戻せることを願っていました…この困難のために、サラマーゴは優秀な生徒でしたが、私立大学に入れることができませんでした。機械学で働く前に技術の勉強をしました。貧しくて自分の本を持っていませんでしたが、サラマーゴはすでに読書家でした。19歳の時に友人からお金を借りて最初の本を買いました。 サラマーゴは翻訳家そしてジャーナリストになりました。多作のライターで、60歳で小説「修道院回想録」を発表して、ついに有名になるまで、膨大な数の記事、詩のコレクション、数冊の小説を発表しました。 2010年に亡くなり、灰はジョゼ・サラマーゴ財団がある「くちばしの家」の前の100年のオリーブの木の陰に埋められました。 くちばしの家 – ジョゼ・サラマーゴ財団 非常にかわいらしいCasa dos Bicos、「くちばしの家」という意味で、非常に興味深い16世紀のポルトガル建築の模範です。ポルトガル領インド諸国の総督アルブケルケのために1532年に建てられ、正面は尖った石で装飾されました。アルブケルケは建設を監視しましたが、フェラーラのディアマンティ宮殿のようなイタリアンルネッサンスの手本に感化されたようです。 「くちばしの家」は1755年の地震でひどい被害を受けました。上層階は1983年に2フロアだけ再建され、二重窓にして元の外観を尊重しました。 2012年までに、ジョゼ・サラマーゴ財団を開催しています。ノーベル文学賞受賞者の生活と作品の紹介を目的として恒久的に展示します。 くちばしの家 – ジョゼ・サラマーゴ財団 - Rua dos Bacalhoeiros, 10, 1100-135 Lisbonne – 開館時間:月曜~土曜 10~18時 サラマーゴのリスボンからマフラまで足取り:「修道院回想録」のルート 最近開始された新しい文化ルート「修道院回想録」はジョゼ・サラマーゴの小説にひらめきを与えた実際の場所で気持ちの良い小旅行をする機会を提供してくれます。 ルートはリスボンのフィゲイラ広場から始まり、「くちばしの家」を抜けて、サカヴェンへと続いています。そこで訪問者は市立図書館アリ・ドス・サントスへの文化ルートで情報センターを見つけます。それからLouresに到着し、街の遺跡をいくつか見ることができます。ルートはマフラで終わりますが、もちろん国立宮殿があって小説への背景として取り扱われています。まだ開始されたばかりのこの文化ツアーはウェブサイトとアプリが入る予定です。 バルタザルとブリムンダはこの旅のガイドとして務める小説です。マフラ宮殿建設中の18世紀に私たちを連れて行ってくれます。小説では宮殿建設に関わる片腕の作業員、バルタザルと、並外れた透視能力を備えた若い女性ブリムンダの愛を語っています。彼らは魔法の飛行機の開発に参加しますが、宗教裁判がこのすべてをよく見ることはありません… マフラ国立宮殿 文学ルートの終わりは、リスボンから40㎞離れたアラビダ地方のアラビダマフラ国立宮殿です。 跡継ぎ誕生を祝うために、ジョアン5世はフランシスコ会修道院を建設する約束を守りました。元々、清貧を誓った13名のフランシスコ会修道士が住むためにシンプルで厳格な修道院でした。しかしプロジェクト開始の2年後、ジョアン5世は心変わりしました:ポルトガル植民地のブラジルの金のおかげで、王冠のケースがあふれ、ジョン5世は控えめな修道院ではなく、ロイヤルファミリーの2番目の家かつハンティングロッジとして使う高価な宮殿を建設することにしました。 4エーカー、1,200の部屋、156の階段、29の庭園。ジョアン5世は少なくとも何も拒まなかったと言えるでしょう!地域の大理石と石ですべて建てられた宮殿は、当時最高のイタリアの巨匠たちに注文された彫刻や絵画で贅沢に装飾されています。 現在では36,000冊の巨大な図書室、バシリカのオルガン6台、ポルトガルのベルサイユの名に値するバロックの名作であるこの宮殿の贅沢な装飾を堪能することができます…サラマーゴのヒーローたちが言ったことは、宮殿が完成せずして死ねるものか!

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カルチャー & アート

リスボン近郊地の訪問:リスボンに住む7通りの方法

3 年前 - Julie D.

七丘の都はさまざまな近郊地で有名です。訪問するリスボンのすべてのメインエリアは個性的で独自の魅力があります。行ってみると街に住む7通り(またはそれ以上!)のとてもさまざまな方法を発見します。7つの丘、リスボンの7つの地域の訪問… ポルトガルの首都は多分魔法の数への魅力を備えています! 北から南、東から西へとガイドに従って、リスボン近郊訪問の特殊性の真価を認めましょう。 リスボン国際広場 このリスボンの近郊は最近のもので、1998年リスボン万博向けに改造されて大きく再建されました。旧工業荒廃地が改装されて注ぎ込まれた途端に1,100万人もの訪問者を受け入れることができました。 現在、リスボン国際広場は皆に開放されていて、テーガス川の岸にある庭園を楽しむ、またはヨーロッパ最大の海洋博物館を訪問することができます。この海洋博物館は、2017年に世界最高の海洋博物館にも投票されました。5百万リットルの海水を使用し、海の動物や植物を発見することができます。しかし、魚だけを見るわけではありません。かわいらしいラッコやペンギンもいて、哺乳動物と鳥が海洋生態系でであることも思い出させてくれます。家族のプログラムにピッタリです。 リスボン海洋博物館 – リスボン国際広場 – 毎日営業、冬季 午前10時から夜7時まで。夏季午前10時から夜8時まで。(12月25日の午前中、1月1日は休業) - 入場料:大人 16.20ユーロ、4-12歳と高齢者 10.80ユーロ。 お買い物好きな人には、万博の元メインエントランスがショッピングセンターに改造されました。ヴァスコ・ダ・ガマ ショッピングセンターには主な海外ブランドが集まっています。 ヴァスコ・ダ・ガマ ショッピングセンター - 国際広場 – 毎日午前9時から夜中まで、ショップは午前9時から夜中まで アルファマ アルファマはリスボン訪問では最古の近郊地区。1755年の地震にも耐え、その名前は温泉を意味するアラビア語のアル-ハマ(Al-Hamma)が由来です。歴史的にはテーガス川にある漁師と水夫の地域で、人気地域としての名声が今も残っています。魅力的な中世の通りの迷路。1147年にカトリック教徒が再奪取する前に、最初の「ムーア人の城」であったサン・ジョルジェ城の記念碑もあります。城からのテーガス川と街の眺めはすばらしいものです。 リスボン近郊の他のパノラマビューを楽しむためには、多数ある展望台や見晴らし台のひとつに行くべき。城からさほど遠くないサンタルチア展望台は、高所で休憩することができます。 アルファマのその他の記念碑はリスボン大聖堂。簡単に「セ大聖堂」と呼ばれています。カトリック教徒の再征服を祝うために1147年の城占領時に建設が始まりました。オーガスタス – そして簡素な – ゴシック様式の灰色の石の記念碑で、多数の栄枯盛衰を体験してきました。 バイシャまたはバイシャ・ポンバリーナ テーガス川沿いに進み続けると、リスボン訪問で最も有名な近郊地のひとつに到着します:バイシャ。言い換えれば下の街です。1755年の地震以降に革新的な建築と都市主義に基づいて建築されたラ・バイシャはエレガントで軽快な近郊地。通りが適切な角度で交差している格子床の幅広い大通りがあります。 テーガス川の岸の右には、幾何学模様を形成しているかわいらしい玉石のコメルシオ広場の美しさを鑑賞することができます。中央ではホセ1世の記念像が中心として役割を放していて、公園のあたり一帯のアーケードはショップとカフェの中心地です。 このリスボンの近郊地を堪能するためには、アウグスタ通りのような美しいよく整えられた通りを歩くのがベストです。コメルシオ広場から訪問可能な壮大な空中にかかる凱旋門の下を通ります。2.50ユーロでエレベーターと2つの階段で頂上に到達することができます。 アウグスタ通りにはMUDE、ファッション博物館があり、すばらしい20世紀のデザインコレクションを揃えています。 MUDE - Rua Augusta 24, 1100 4月または9月にリスボンに行くならば、地下のミステリアスなローマギャラリーを発見するチャンスがあるかも知れません。1年で数日しかオープンしておらず、登録が必要です。この機会をお見逃しなく! Galerias Romanas da Rua da Prata - Rua da Prata 77, リスボン 1100 – 026 シアード アウグスタ通りからシアードに進み続けると、リスボンで最も有名なショッピングエリアのひとつに到着します。シックな近郊地シアードはすばらしいショップ、衣類、本、ジュエリーだけでなく、博物館やカフェも満載です。アズレージョのフレスコで装飾された見事な外観を備えたフェルナンド・ペソアごひいきのコーヒーA Brasileiraがあります。 Café A Brasileira - 120 Rua Garrett, リスボン 1200-205 – 毎日午前8時~午前2時営業 本当にポルトガルのものをもたらし、国の若いクリエーターを発見するためには、ア・ヴィーダ・ポルトゲーザに行くべき。以前の投稿で話したアリババの洞窟です。 シアードはリスボン訪問で最も美しい地域のひとつ。裏通りの角あるいは小さな広場の角で秘密をずっと発見し続けます。例えばカモンエス広場。すばらしい白い石の外観と小さなアールデコスタンドがあって、遠回りをする価値があります。シアードとバイロ・アルドの境界を示しています。 バイロ・アルト 日中は眠り夜に活動するバイロ・アルトは夜型の人の近郊地。20年以上の間、一杯飲むのに友達と会い、美しい夏の夜を楽しむならここです。 たくさんのお勧めの場所の中からの我々のお勧めはポルタス・ラルガス。カクテルが豊富です。モヒートファンならクルービ・ダ ・エスキーナに行きましょう。大胆な人は「Pontapé」、「キック」を求めてアローシュ・ドースへ行きましょう。どこでも、いや、ほとんどどこでもライブミュージックやクレージーなパーティがあります! ポルタス・ラルガス - R. Da Atalaia 105, 1200-037 クルービ・ダ ・エスキーナ – R. Da Barroca 30, 1200-036 アローシュ・ドース – R. Da Atalaia 119, 1200-383 ベレン 有名なベレンのパステルの故郷、ベレンで会うために4月25日橋を今、通るべきです。地域のエンブレムはベレンの大きな防衛塔で、テーガス川の入り口をガードしています。その優雅な銃眼で、遠くからで認識できます。 人目を引くマヌエル様式の白い外観の白いジェロニモス修道院は彫刻の優美さが印象的ですが、特に修道院と聖メアリー教会の彫刻はすばらしいものです。この巨大で高価な建築のアンサンブルはルネッサンス発見のすばらしい航海のおかげで資金調達されました。この旅行は1960年に開始式を行った発見のモニュメントでお祝いされます。 ベレンの塔 - Av. Brasília, 1400-038 - 冬季 午前10時~午後5:30、夏季は午後6:30まで。月曜、一部祝祭日定休日 ジェロニモス修道院 - Praça do Império 1400-206 - 冬季 午前10時~午後5:30、夏季は午後6:30まで。月曜、一部祝祭日定休日 発見のモニュメント - Av. Brasília, 1400-038 - 午前10時~午後6時。冬季の月曜休業。夏は毎日営業、午後7時まで。一部祝祭日は休業。 アルカンターラ これがリスボンのメインの近郊地のラスト、アルカンターラ。テーガス河口の波止場周辺地域です。ベレンから川沿いの遊歩道を4月25日橋まで心地よく歩きます。1990年代から、アルカンターラはナイトクラブ地域になっています:商業用建物で住居地域と分けられていて、パーティに行く人は住人に迷惑をかけずに夜を楽しむことができます。 日中には波止場「ドッカ・デ・サント・アマーロ」にある多数のレストランの1軒を訪問することもできます。ドック・コッドではマリーナの上のすばらしいセッティングの中、伝統的なバカラオのほか、薪の火で焼いたグリルミートを提供しています。少し離れたところではレストランArdemarが典型的なポルトガルテイストを取り入れたおいしい地中海料理を提供しています。 ドック・コッド - Doca de Santo Amaro, Armazem 16, 1350-353 Ardemar - Docas of Santo Amaro, Armazem 4, 1350-353

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リスボン近郊地の訪問:リスボンに住む7通りの方法

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ナイトライフ

リスボンで外出する場所は?リスボン最高のバー

3 年前 - Julie D.

リスボンはパーティピープル、夜型の人、その他の夜遊びをする人に両手を広げて待っています。街の別の地域のバイロ・アルトから旧波止場まで、バーが互いにフォローし合って、全部異なっています。最もトレンディなバーから最も歴史的なバーまでここにはリスボン最高のバーが数件あります。夜が終わるまでいつまでもいるのにすばらしい場所です。 最高の装飾のバー:Pavilhão Chinês 「チャイニーズ・パビリオン」は1986年以来建物を占めている伝統的な食糧雑貨店に名を保有しています。この有名なバーはリスボンに長い間あり、その評判は右に出るものがありません。1階の控えめな正面でほぼ止まらずに通り過ぎてしまいますが、いったん中に入るとそこは魔法:窓に覆われた壁がある迷宮の部屋に入り、古い食料棚には何千ものアイテムがごちゃ混ぜに蓄えられています。 かつでは米や砂糖のパッケージがあった店の窓の後ろにはおもちゃ、軍の記章、古い広告、変わったノスタルジアの全世界があります。アールデコの天井のモールディングが親密で風変わりな空気を添えています。快適なベンチに座って、この場所の魔法にさらわれましょう。 古いポスター、多関節の人形、これらのすべての物は建物の元オーナーLuis Pinto Coelhoのプライベートコレクションです:若いころからのコレクターで、開店の時に自分のコレクションでバーを飾ろうと決心しました。 バーは定期的にファド・ナイトを開催します。 Pavilhão Chinês - Rua Dom Pedro V 89, 1250-093 - Tel.: +351 21 342 4729 – 午後6時~朝2時、毎日営業。 最高に騙す秘密のバー:レッド・フロッグ・スピークイージー・バー 2017年世界のベストバー50にランク付けされたレッド・フロッグは、ロウソクの灯を灯した布張りの低いアームチェアと小さな丸いテーブルでうまくデザインされた装飾の中ですばらしいカクテルを提供します。飲み物の紹介はじっくりと考えられました。小さな赤いカエルがいくつかのフラスコの中に見つかり、花びらとドライフルーツが他の創作物が飾ります。カードにはカクテルが甘い、フルーティ、苦いかどうかが書かれています… 「誘発剤」に誘惑されますか?不思議な味わいのカクテルはヘンドリックのジン、ルバーブ、ピンクペッパー、コンブチャのブレンドです。バーに入るためには、ベルを鳴らさなければなりません – ベルを征服する赤いカエルへの挨拶の言葉を認識するでしょう。便利じゃないですか? レッド・フロッグ・スピークイージー・バー - Rua do Salitre 5A, 1250-198 - Tel.: +351 21 583 1120 – 午後8時~午前2時、金曜・土曜は午前3時まで、日曜定休 ひとつではないベストバー:ワイン・ウィズ・ア・ビュー これはとてもオリジナルなバーテラス。破壊的な太陽の下、サン・ジョルジェ城の高さを登ります…頂上に到着したら、喉を冷やしたくなります。 ワイン・ウィズ・ア・ビューがあなたを待っています:1965 Famel scooterを巧妙に改装し、イザベル、イーボ、テレサがグラスでポルトガルワインを提供しています。街で最も美しいパノラマのひとつの前で小さなヴィーニョ・ヴェルデやジンジャを楽しむことができます。本物のワインを発見する独特な落ち着いた方法。午後の終わりや穏やかに夕方に移行する時にピッタリです。 ワイン・ウィズ・ア・ビュー - サン・ジョルジェ城とベレンの塔 – 城 11~18時、ベレン 11~17時 歴史溢れる最高のバー:ア・パロディア すばらしいアールデコのセッティングのバー、ア・パロディアはPavilhão Chinêsのようにリスボンの夜の施設。独裁国家没落を誘発した1974年のカーネーション革命の2日後にオープンしたア・パロディアは20世紀初期に有名な風刺新聞に敬意を表して名づけられました。ベルベットのベンチと寄木細工のテーブル、雰囲気は洗練されていてビンテージです。ポルトガルワイン、すばらしい60種類のカクテルのメニュー(冷たいもの、または冬にリスボンを訪問する人にはホット)をすすりましょう。オーナーのフィリパは場所の中心人物。バーや街の歴史について喜んで質問に答えてくれます。 ア・パロディア - Rua do Patrocinio 26B, 1350-230 - Tel.: +351 21 396 4724 – 21~2時営業 - バーは喫煙です。 ベスト・アートバー:アルテ 8 バー リスボンの夜の中心、バイロ・アルトではアルテ 8が小さな宝石。壁には有名なポルトガルのカメラマンの作品があります。場所はすばらしい雰囲気で、海外のDJのおかげで良い音楽と、頭をクラクラさせるカクテルがあります。夜にはスマートな電光が天井に光の効果を演出し、部屋にボヘミアンタッチを与えるすてきなタッセルシャンデリアを生かしています。 アルテ 8 バー - Travessa da espera 54 Lisboa, 1200-176 - Tel.: +351 935 555 541 - 水曜・木曜 午後8時~午前2時、金曜・土曜 午後8時~午前3時、日・月・火曜定休 ベスト・ビアバー:リスビア アルファマ地区の裏通りの角に隠れているリスビアは良いビールしか置いてありません – それとすばらしい音楽。フレンドリーなオーナーの元で、国で一番幅広くビールを提供しています!さまざまな国から輸入したビールだけでなく、ポルトガルの小さな醸造所(Letra C, Dois Corvos)のビールも取り揃えていて、エールの熱狂者は魅了されます。快適にフィットする大きなアームシェアがあり、お好みの飲み物を味わえます。まだ決めていない人には、スタッフが好みや好奇心に応じて喜んでビールをお薦めしてくれます。 リスビア - eco do Arco Escuro 1, 1100-016 – 火曜~木曜 午後4時~午前1時、金曜・土曜は午前2時まで、日曜・月曜定休

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ライフスタイル

エスタディオ・ダ・ルス、S.L.ベンフィカの歴史あるスタジアム

3 年前 - Julie D.

 ポルトガル人に関する共通の決まり文句は、熱烈なサッカーのサポーターであるということ。でも、この熱烈ぶりは、ある真実を隠しているかも知れません…だからこそ、熱心なラウンドボールファンでなくとも、エスタディオ・ダ・ルスへの訪問は欠かせないことです!実際に、リスボンのS.L.ベンフィカのスタジアムは、アズレージョ国立博物館のようにポルトガルの文化のハイライトのひとつです。 サッカーファンには、ベンフィカ・クラブのスタジアムの別名「大聖堂」の訪問の関心について説明する必要はありません。他の人にとっても、ルス地区へ乗り出すため理由をつけて納得できます。とりわけ、気が進まない人も納得させる念入りな訪問の間にエスタディオ・ダ・ルスへ訪問することは、世界で最も愛されるサッカークラブのひとつの伝説を見つけることです。 Sport Lisboa e Benfica, one of the three big Portuguese clubs 「スポルト・リスボア・イ・ベンフィカ」は世界中に1,400万人以上のファンがいて、2015年には世界で2番目に多いアクティブなメンバーを所有しました(FIFAによると、225,000名。バイエルン・ミュンヘンに続く)。2006年にはギネスブック記録によると1位となりました。数字を信頼するならば、ポルトガル人の47%、500万人以上が好きなクラブということです。 The Sporting Clube de Portugal、FC ポルトと一緒にS.L.ベンフィカは、Portuguese Primeira Liga Championshipの「ビッグスリー」クラブのひとつです: "Os Três Grandes"。このポルトガルのサッカーの3つの巨大なチームにはそれぞれ動物のマスコットがいて、プレーヤーにその名前も与えています:S.L.ベンフィカにはワシ、スポーティングにはライオン、FCポルトには竜です。 3つのクラブは、群衆を一体にする非常に期待できる試合で競います。歴史的な2チームのライバルS.L.ベンフィカとスポーティングC …「エターナル・ダービー」とも呼ばれる「リスボン・ダービー」で毎年競います。ベンフィカ-FCポルトの試合は「O Clássico」と呼ばれます。 スポーティングC.P.と対抗は、勝った試合数で一位を決定しますが、2つのクラブがランキングでタッチキーとなっています。しかし、イーグルスがライオンズ・オブ・スポーティングからエウゼビオ選手を「手に入れて」、ポルトガル領東アフリカ(まだモザンビークではなかった)に加わった時には、SLベンフィカが必ずしも良い役割がなく、低迷しました。 サッカーの「大聖堂」:エスタディオ・ダ・ルス 「スタジアム・オブ・ライト」または「大聖堂」というあだ名はベンフィカ地区に設置されたルス郡から名づけられました。しかし、純正主義者は、あだ名の起源について議論しました:照明器具が取り付けられた1958年まで、古いスタジアムは「エスタド・ド・カルニデ」と呼ばれていましたが、この瞬間に名前は「エスタディオ・ダ・ルス」に変わりました。 現在のエスタディオ・ダ・ルスはEuro 2004の試合を主催するために建てられ、2003年10月にオープンしました。64,000人以上収容できるポルトガル最大のスタジアムで、ヨーロッパ最大級のひとつです。とりわけ、Euro 2004の決勝戦が7月4日に(ポルトガル x ギリシャ: 0-1)、2014年5月にチャンピオンリーグの決勝戦(レアル・マドリード x アトレティコ・マドリード: 4-1)が開催されました。 1954~2003年まで運営された旧エスタディオ・ダ・ルスは、取り壊される前に同じ場所にありました。1954年11月1日に、絶対的な敵の対戦で開始されました:S.L.ベンフィカ 対 FCポルト – 3-1で勝ちました。 エスタディオ・ダ・ルス訪問 エスタディオ・ダ・ルスを訪問することは簡単です。総合チケットがあるとthe Cosme Damião Museumに行くこともできます。ガイドツアーは20分おきにはじまり、45分~1時間続きます。スタジアムは、12月25日と元日を除いて、毎日午前10時から午後5時まで開いています(12月24日・31日は午後2時に閉まります)。良いお知らせです。エキサイティングな訪問(ポルトガル語または英語)はあまりサッカー好きでない人にも興味があるものです。だから、ご家族やグループで行くことに後悔しません。 ガイドは、訪問者の更衣室、テラス、芝生、プレスルームのほか、クラブのエンブレムである有名なワシ(イーグルス)にも紹介します。このマスコットは、足にクラブカラーのリボンをつけて、試合の日にスタジアムの頭上を飛びます。後ろのカメラでは、観客の拍手喝采へとフィールドの中心に上陸する前に、ワシがスタンドの群衆の印象的な眺めを与えます。 エスタディオ・ダ・ルスで試合を見る もちろん、エスタディオ・ダ・ルスの試合に参加することは可能です。チケットは直接クラブのウェブサイトまたは次の試合にはさまざまなチケットカウンターで購入することができます。4つのスタンドと、スタンドの5レベルの選択があります。試合のスケジュールについては、こちらをご覧ください。 エスタディオ・ダ・ルス/エスタディオ・ド・スポルト・リスボア・イ・ベンフィカ - Museu Cosme Damião - Av. Eusebio da Silva Ferreira, 1500-313 Lisboa – メトロ「ブルーライン」コレジオ・ミリタール/ルスまたはアルト=ドス=モイーニョス駅 - スタジアムと博物館の総合チケット 17.5ユーロ、スタジアムのみ 12.5ユーロ、博物館のみ 10ユーロ S.Lベンフィカのエンブレムとモットー S.L.ベンフィカのエンブレムは、複数のシンボルを一体化していて、クラブとその価値の歴史を描いています。中央にサッカーボール(すぐに分かる!)、クラブのイニシャルがついたリボンとクロスしています:S.L.B. スポルト・リスボア・イ・ベンフィカ。 S.L.ベンフィカは1908年にふたつのクラブ、スポルト・リスボア(1904年設立)とグルッポ・スポルト・ベンフィカ(1906年設立)が合併したものです。盾はスポルト・リスボアのレガシーで、自転車車輪はグルッポ・スポルト・ベンフィカ由来です:当時の多数のスポーツクラブのようにG.S.B.は、サイクリングを含む複数のスポーツをグループ化していました。 赤と白の盾の上には、壮大さと独立のシンボルのワシと、クラブのモットーの「E Pluribus Unum」:「多数からひとつへ」。このモットーは、「In God We Trust」に変わる前には長い間、米国のモットーでした。このモットーはチームの精神を強調しています:「皆、自分のエゴと個人主義を控室に置き(悪霊は、一部の選手には簡単ではないと言うでしょう…)、チームメートと一体になる」。何十年も続くすばらしい紋章はクラブの精神で、初めから変わっていません。 S.L.ベンフィカのアンセム:«サー、ベンフィキスタ» アンセムは「クラブ・ルタドール」、ファイタークラブのことで「ライバルはいない/ポルトガルに」、そして赤いポピーのジャージを祝います。この曲は「ベンフィキスタであること」はただのサッカーファンのことではなく、それ以上であるということを思い出させます!ポーリーノ・ゴメス・ジュニアの作曲で、1953年4月16日に、エスタディオ・ダ・ルス建設の基金調達目的のイベント「saras」の時にテノール歌手のLuís Piçarraによって初めて歌われました。 エウゼビオ – 黒豹 エウゼビオ・ダ・シルヴァ・フェレイラは、伝説の名をまさにふさわしいプレーヤーです。スパイ映画に値するシナリオで、SLベンフィカ加入前は、スポルトの子会社でボールのテストを始めました…SLベンフィカは、実際にエウゼビオの母親を説得する方法を見つけ、そして、エウゼビオはスポルトにすでに約束されていました。エウゼビオはその後、怪しまれないように偽名でリスボンにやって来ました。 1960年代初期から1970年代半ばまで、SLベンフィカでプレイして、長くすばらしいキャリアを築きました:その年月の中で、SLベンフィカは、ポルトガルチャンピオンに11回輝き、エウゼビオのおかげで、クラブは1966年ワールドカップで3位となりました(トップしコアで9ゴール)。1965年には、エウゼビオはゴールデンボールも受賞しました。 ダイナモの伝説のゴールキーパー、レフ・ヤシンからゴールを奪った数少ないスコアラーのひとりです。ヤシンは彼の防御を破ったばかりのプレーヤーの手を温かく握りしめ、一生の友人となりました。1990年、ベンフィカ・メテオール・スタジアムの試合の直線にヤシンの死が報じられた時には、カメラがポルトガル代表団に向けられました:エウゼビオは熱い涙を流していました。 2014年にエウゼビオは76歳で亡くなった時には、ポルトガルは3日間の国喪を布告しました。エウゼビオの希望通り、偉大なサッカープレーヤーの遺体は、「黒豹」に最後の賛辞を捧げるためにやってきたポルトガルのファンが泣き叫ぶ中、エスタディオ・ダ・ルスを一周しました。入口にエウゼビオの彫像が証明する通り、エスタディオ・ダ・ルスは「彼の」スタジアムです。 次世代:S.Lベンフィカの新人 ベルギー出身の18歳のS.L.ベンフィカのゴールキーパー、ミレ・スヴィラルは、最近名を成してきました…良くも悪くも!2017年10月17日、スヴィラルは、18歳1か月で、チャンピオンリーグの最年少のゴールキーパーとしてプレイしました:「名門出の精神、価値は何年も待たない」。しかし、S.L.ベンフィカ対マンチェスター・ユナイテッドの同試合で、フリーキックの後にバックステップでゴールに入り、自分のチームにゴールを入れてしまいました。おっと。そこでクラブを敗戦に陥らせてしまいました。スコアは0-1でした。スヴィラルはファンに謝罪し、試合の終わりに悲しみに沈んでいました…加えて、オールド・トラフォードでマンチェスター・ユナイテッドとの大きな試合をプレイすることがプレッシャーだったのでしょうか? 

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エスタディオ・ダ・ルス、S.L.ベンフィカの歴史あるスタジアム

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カルチャー & アート

カルモ広場とそのロマンティックな魅力

3 年前 - Julie D.

 カルモ広場は、リスボンの高地にある小さな静かな場所。旅行者の群衆が立ち去ったその瞬間に発見します。ハカランダに囲まれた噴水があって、控え目な魅力があります。カルモ広場に到着する前には、サンタ・ジュスタのリフトへの搭乗を急ぐかわりに、シアードの小道を登ることができますが、この場所から発せられる穏やかな雰囲気を満喫することができます。 花の真ん中で春に発見する小さな広場 カルモ広場は、青い鮮やかな花が特徴のハカランダが咲く5月半ばから6月初旬にかけて特に見ものです。この木は南米、特にブラジルが原産地で、繊細な紫青の花の房で覆われます。マラケッシュのマムーニア庭園に美を添える木と同じものです。 中央には、Chafariz do Carmoとしても知られる優雅な噴水が広場に趣を添えています。この噴水は、リスボンにある唯一のニッチーなタイプの噴水です:4つの柱が水盤の上にあって、イルカの上の4つのアーチにつながっています。1771年に建てられ、Reinaldo Manuel dos Santosが設計し、クラシックとバロックを融合したスタイルとなっています。 フェルナンド・ペソアは18歳の時に、賃貸の小さな部屋に1908年から1912年まで住みました。 サンタ・ジュスタのリフトは、マストではありません… ほとんどの旅行ガイドでは、サンタ・ジュスタのリフトの利用を特に薦めています。この「エレベーター」はリスボンにある4つのうちのひとつです。7つの丘の都市には、登らなければならないことがあります…都市のシンボルで旅行客に愛される有名なelevadoresは、部分的に問題が解決されました。小高い場所が少しデコボコしている都市の場所に、迅速な上昇と簡単な手段を提供しました。 サンタ・ジュスタのエレベーターの特殊性は、本物のリフトであることです。一方で、ラヴラ・グロリア・ビカの他の3つのascensoresは、水力発電機能に、現在では発電に使用されるケーブルカーです。すべて同じエンジニアのRaoul Mesnier du Ponsardにより設計されました。伝説とは反対に、Mesnier du Ponsardは、ギュスターヴ・エッフェルの学生でも称賛者でもなくて関連がありませんでしたが、サンタ・ジュアンとエッフェル塔には多くの類似点を見て取れることは確かです。 サンタ・ジュアンのエレベーターは1902年に建設されました。壮大なネオゴシック後期の時代のスタイルで、サンタ・ジュスタ通りからカルモ広場へとつながっています。サンタ・ジュアン通りでは、スッキリとしたシルエットが通りと驚きのコントラストを作り上げています。突然狭くなっているように見えて、エレベーターは45メートルの頂上から建物を見下ろすことができます。頂上では凝った金属の道が、エレベーターのキャビンからカルモ広場へつながっています。壮大なパノラマビューを見せてくれる展望台へ上ることもできます。 しかし、人の殺到の前に行き、長い間待たなければなりません:ピークシーズンには、観光客にすごく人気があるので、エレベーターに乗るために20分から1時間並ぶ必要があります。一方で歩けば数分かかるだけです ― シアードの多数のお店のウィンドウの前の道で手間取っていなければ… ですから、橋からまたは望楼からリスボンの丘の息を飲むような眺め、テーガス、街の屋根、カルメル会修道士の修道院が見える可能性があることを覚えておきましょう。 サンタ・ジュスタのフィルと - リスボンカードまたはARRIS/METRO パス24時間、またはリフトに5.15ユーロ、プラス展望台1.50ユーロ(橋へのアクセスは無料) カルモ修道院とカルモ考古学博物館 カルモ考古学博物館の広場は、1389年に設立され、1755年の地震で大部分が破壊された旧カルモ修道院から名前を取っています。建物は一切(意図的に)修復されませんでしたが、ダメージの程度の考えを与えるリスボンで唯一の建物です。真っ青な空や暑い夏の日光、の下でもメランコリーのオーラがわかります。 印象的な古い教会の外壁は、まっすぐで白っぽい絶壁を際立たせていますが、中に入ると、地震が屋根を完全に破壊したので、空間にのびる壮大なアーチを見て驚きます。 インテリアのごく一部だけが残りました。教会の後陣には折衷の共鳴がある小さな考古学博物館の隠れ家を見つけました。ポルトガル史のすべての時代の散り散りになった残物があります。ゴシック式の墓(イノシシ狩りの場面に特徴があるDenis I The Laborerを含む)、噴水、石碑、ポルトガル全体からの窓など。 ゴシック式の石棺では、木彫りの場面が細部の贅沢さを表しています:ドン・フェルナンド一世は顔のひとつを描写していて、前面には教会の出口で小さな子供が座って読書をした牧歌的な風景があります。 コレクションには、紀元前3500~1500年に遡ったアレンテージョ地域のアザンブジャ現地の探索中に発見された有史以前の人工産物も含まれます。肝が座った人やインディアナ・ジョーンズを夢見る人には、2体のペルシャのミイラが窓にしゃがんで訪問者を見ています。 カルモ修道院と考古学博物館 - カルモ考古学博物館, 1200-092 Lisboa – 入場料4ユーロ - 月曜から土曜 冬季(10~5月)10~18時、夏季(6~9月)10~19時 – 日曜、12/25、元日、5月1日は定休日 聖ロクス教会とその博物館 ― Igreja de São Roque 聖ロクス教会の厳格な白い正面は、職業をうまく隠しています。非常に厳格で穴のあいたエクステリアの下で、とても高価なインテリアがあります。メインの身廊に隣接した横の礼拝堂にはそれぞれの通路があって、バロック芸術の宝石です。 最も印象的で、確かにその通りなのは、ロココ様式の聖ヨハネバプテスト教会。金・銀・大理石・貴金属・めのう・ラピスラズリ・アメジストの宝庫です。黙示録の衝撃的なシーンがモザイクで造り直されています:この絵画を作り上げるティセラの一部は3㎜以下です。度量の大きなジョン王五世が委託した礼拝堂は、2人のイタリア人の芸術家によってローマで作られ、ひとつずつ分解されてリスボンに船で輸送される前にローマ法王自身から祝福を受けました。 礼拝堂は、緑色の大理石の手すりで教会とは離れていて、床にはすばらしい石のモザイクがポルトガル王のシンボルである天球儀を象徴しています。ラピスラズリの柱は、プットの頭で装飾された六角形のアーチ型天井をサポートしているようです。 教会の残りの「もっと節度がある所」(もしバロック美術の節度のことを言うならば)は美しいものです。天井が目を錯覚させ、アズレージョ、礼拝堂のアーチ型天井、ブドウの葉で装飾されたねじり柱は、すべて誇らしい落ち着きを与えます。 教会の隣の見せかけだけの家は宗教芸術の小さな博物館で、聖ヨハネバプテスト教会の宝物を所有しています。博物館のこの部分は、教会を設立した兄弟の旧家です。 回廊で癒しの時間を過ごすのを忘れないようにしましょう。長方形の水鏡の周りの4種類の竹が集まった見晴らしの良い庭園で装飾されています。 聖ロクス教会と宗教芸術博物館 - Largo Trindade Coelho, 1200-470 Lisboa – メトロ バイシャ=シアード駅 - 教会の入場料は無料、博物館 2.50ユーロ  - 博物館開館時間 火曜から日曜:午前10時から午後6時(夏季は7時)、月曜日:午後2時から6時 – 休館日:元日、イースターの日曜日、5月1日、12月25日 

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